第4週:11月17日(月)-11月22日(土) | 報告者:須藤 貴雄 |
| 11月17日(月) 午前:コロンボからバブニアへ移動、午後:Rural Development Foundation(RDF)視察 A9と呼ばれる国道を北へ進むほど道は直線となり、道のまわりには田んぼと平原が広がっていった。また時々車道には牛が横たわっていることや、野生の孔雀がいることもあった。道路は舗装されており良好である、と感じた。車窓から見える家は、壁が土作りのものもあったが、特に貧困を感じさせるものではなかった。しかし、北に進めば進むほど、検問等はないものの、軍関係者の姿を多く見かけるようになった。 12時半頃にバブニアに着き、そのままRDFで昼食をご馳走になった後、代表のロミ氏の講義。RDFは1984年にマナーでムスリムグループにより創設された団体であり、北部6箇所に事務所を持っているそうである(トリンコマリー、マナー、バブニア、プッタラム等)。各国のドナーの援助を受け、活動をおこなっているそうである。 我々が訪問したときも、JCCPとの共同プロジェクトである、“Community Based Vocational Training Programme for War Widows Youth”、“Capacity Building Enlightenment Programme for War Widows”が行われていた。前者は、内戦未亡人の子供に対する職業訓練(自動車整備)であり、後者は、内戦未亡人のための心のケアを行うものである。基本的に外で働くことの少ないムスリム女性が、夫の死により働かざるをえないこととなった場合、周囲からの差別を受けることがあったり、また、時には自殺という道を選んでしまう未亡人もいるということはショックであった。 今般の訪問は、初の北部地域での視察であったが、いままで訪れたことのないムスリム系NGOであったということと、NGOが住民を参加させつつ活動を行っているところを実際に見ることができたという点で、非常に有意義なものであった。
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| 11月18日(火) 午前:Danish Refugee Council(DRC)事務所訪問、プロジェクトサイト視察、午後:JCCP地雷除去プロジェクト視察 バブニアにあるDRCのオフィスを訪問。DRCはデンマークに本部があるインターナショナルNGOで、難民救済、キャパシティビルディング等の活動をしている団体である。事務所の様子や所有している車などを見て、欧米系NGOに良く見られる資金の豊富さ、システマチックを感じた。講義は代表の話(その歴史・活動内容)から始まり、各プロジェクト担当スタッフの話で進められていった。なお、マイクロファイナンスアドバイザーはネパール人であり、インターナショナルNGOの一面を見た気がした。マイクロファイナンスに個人的に興味があったが、講義での話だけで、実際の活動をみることができなかったのが少々残念である。 事務所での講義のあとは、DRC提携先のローカルNGOであるNational Gender and Community Development Organization (NGACDO)の活動を視察した。本NGOの活動として興味深かったのは、バブニア地区のInternally Displaced Persons (IDPs)の主婦達の中から、シンハラ人から3人、タミル人から3人、計6人のグループをつくり、簡易食堂を経営する、というプロジェクトであった。簡易食堂経営視察の後行った主婦達とのディスカッションでは、①シンハラ語、タミル語、英語を使っての意思の疎通という点で、日常レベルでのコミュニケーションの困難さを感じた。また、②主婦の1人から「NGACDOのトレーニング、仲間同士でのミーティングを受けた後では、自分に自信がついた」という意見があり、印象的であった。 午後は、バブニア市内のレストランで、JCCP地雷除去チームの、辰巳竜悟氏、一志康洋氏、野田朋子氏とともに昼食をとった。辰巳氏、一志氏の地雷除去に関する実際の活動内容や苦労話が日本語で聞くことが出来、非常に参考になった。 昼食のあとは、JCCP地雷除去チームが実際に地雷除去を行う予定地(マナーロード脇の平原)を視察した。バブニア市内より車で約40分程度のところにあるその場所は、一見なにもないのどかな平原に見え、少々拍子抜けした感も否めなかったが、「先週、現地の住民が地雷を踏んでしまい、片足を失った」と聞き、気が引き締まった。18万平方メートルという広大な広さである地雷除去予定地であるが、仮にこの広い土地のどこかにたった1つだけ、地雷が埋まっているとしても、足を踏み入れたくない、と感じた。もっとも、そのような心理的な恐怖を与えることが、地雷を埋めた人間にとっての意図であるのであろう、と実感した今回の視察であった。 |
11月19日(水) 午前:バブニアからトリンコマリ-へ移動(約3時間)、午後:セワランカ財団トリンコマリ-事務所、IDPキャンプ訪問 セワランカ財団トリンコマリ-事務所到着。Mr. Lal Jeyasinghe (副代表)に、セワランカ財団トリンコマリ-の活動について講義をうける。既に研修生はコロンボのセワランカ財団には訪れており、多少の予備知識はあるものの、実際の活動を見聞することが出来、事務所での講義のあとに訪れた3箇所のIDPキャンプ訪問を含め、有意義な訪問であった。 国内避難民キャンプ(IDPキャンプ)は3箇所訪れたが、1番目のものは、既にIDPキャンプとして発展している感じの所で、電気も通っていた。我々がインタビューした住民も、「永住するつもり」とのことであった。また、JCCPが援助し作られた井戸も見学することができたが、実際に活用されていた。今回同行したJCCPスリランカのスタッフ、アイバン氏によると、「過去3年、状況は毎年良くなっている」とのことであった。なお住民はタミル人であった。 次に2番目のものであるが、ここはムスリムのIDPキャンプであり、13年前から居住しているそうである。大きな建物のなかに多数の人々が住んでいた。一家族に非常に狭いスペースがあたえられているだけであった。なお電気はなかった。もともとは政府機関の倉庫のようなものであったらしい。住民へのインタビューでは、「移転地(土地)はあるものの、建物がなく、また建物を建てるお金もないので移動できない」とのことであった。 最後に訪れたIDPキャンプは我々が宿泊したNilaveli Beach Hotel の近くにある浜辺にあった。家は椰子の葉で作られた簡易的なものであり、地面は砂地であった。住民はタミル人で、現金収入の手段として、玉ねぎを栽培しているそうである。ここも非常に子供が多かった。同行したセワランカ財団のスタッフの「彼ら(IDPキャンプのタミル人)はいつも何か援助してくれと言う。困ったものだ。ただ子供たちの将来を考えると心配で仕方がない」との言葉が印象的であった。 |
11月20日(木) 午前:トリンコマリーからムトゥーへ移動、午後:ムトゥームスリムコミュニティー訪問 午前8時半にトリンコマリーのホテルからムトゥーへ移動。悪路を3時間かけムトゥーに到着。セワランカ財団トリンコマリー事務所のスタッフが同行した。前日からの雨のため、道路状況も悪く、途中、橋が崩れかかっているところも通過した(なお、復路は簡易フェリーで通過した)。 ムトゥームスリムコミュニティーに到着。JCPD(当時)がドナーとなった小学校でミーティング。訪問時期がラマダン(断食)期間であったため、実際に授業を見学することはできなかったが、大いに活用されている様子であった。 ムトゥームスリムコミュニティーでの面談者は小学校の校長兼コミュニティーのリーダーであったが、印象的であったのは、自分達のことを「ムスリム」と呼び、「タミル人」と名乗らなかったことである。タミル人=ヒンドゥー教徒に対する強いアイデンティティーからくるものと理解した。また、コミュニティー内でのムスリムに対するLTTEからの攻撃、嫌がらせは約6ヶ月前に始まったということであったが、これは宗教間の争いというよりも、もっと経済的な理由から生じたものか、とも考えた(ジャングルに木材を伐採にいったムスリムがLTTEにつかまるという事件が発端らしい)。 なお、我々が訪れた小学校のすぐ横の敷地は、LTTEの支配地域であったが、ただの平原であり、標識等もなく、その土地がそうであるとは言われるまで気がつかなかった。 |
11月21日(金) トリンコマリーからシーギリヤを経てコロンボへ移動 午前8時半にホテルを出発。2時間ほどでシーギリヤに到着。大きな岩山の上にある王宮を見学。5世紀後半に作られたそうである。11年かけてつくられても、実際に使用されたのは7年間であったらしい。世界中からの観光客が来ていた。頂上まで登るのは大変疲れたが、頂上からの景色は格別であった。見学のあと午後7時半頃にコロンボに到着。 |
11月22日(土) 午前:JCCPスリランカ事務所にて演習 研修生は皆、移動による疲れが若干見うけられるが、週末で休養をとりリフレッシュするものと思われる。 演習では、北東部視察の感想として①RDF等の実際に動いているプロジェクトを見ることができて良かった、②牛が多く、タミル人(ヒンドゥー教徒)、ムスリムの多さを感じた、③複数のIDPキャンプを見学できて良かった、④JCCP地雷プロジェクトの実際の現場を見ることができて良かった等の意見があげられた。 |