安寧の日々が待たれるスリランカ | | 2003/11/ 7 | スリランカの民族(宗教)抗争の歴史的概略 インド洋に浮かぶ島国スリランカは「光り輝く島」の意味であり、アジア諸国に於いて最も早く議会政治制度が確立された国である(1931年~女性参政権を含めた普通選挙制度の導入・日本は1946年)。 紀元前5~6世紀に北部インドよりシンハラ民族が移住し、紀元前3世紀頃には仏教王国として栄え、東南アジア、アラビア、ローマとの交易も盛んであった。その後、紀元4~5世紀に、南部インドよりタミール民族がスリランカ北部に移住(スリランカ北部マナー半島とインド南端部とは、アダムスブリッジと呼ばれる小島がつながる海峡を挟み僅か40kmの距離であり、タミール民族は、シンハラ民族が移住してくる以前よりの定住民族であるとの説もある)、その後、徐々にその勢力を拡大し、シンハラ王朝は南部に遷都を繰り返す経過を辿るようになる。 この時代より、シンハラ人、タミール人の民族問題が芽生え始めたが、この当時の民族問題は王位継承問題を中心としたものであった。その後、12~13世紀にモスレムを信仰するムーア人の移住もあったが、これらの民族には今日に見られる民族対立の様相はなく、共存の意識があった(スリランカにはカースト制度がある為、同じ民族間でも出自、職業により差別的意識は依然として存在する)。 スリランカは、これら3民族を中心に構成された小国家であるが、地政学上、対アジア制覇の拠点としてのヨーロッパ諸国の植民地化を経験することになり、ポルトガル(~1658年)、オランダ(1658年~1796年)、イギリス(1796年~1948年)の支配下に置かれた。特に、イギリスが統治していた時代に新たなる人種問題の火種となる政策が実施された。イギリスは南部丘陵地帯の紅茶栽培の労働者として、インド南部よりタミール人を移住させた為、インドタミールと北部を中心に定住するスリランカタミールとの間に差別化をもたらした。これら南部丘陵地帯で働くインドタミールはスリランカ人としてのステータスすら与えられない差別的境遇に置かれ、今日に至るもこの差別的扱いは対インドとの政治的問題もあり、完全に解消していない(シンハラ民族内にも、高地シンハラ、低地シンハラといった差別意識が現存する)。 上記民族背景を抱え、その過程に於いては、民族間、民族内部での衝突はあったものの、1948年英連邦内自治国としての独立、50年代の総選挙に至るまでは、民族間の決定的対立は回避された状態が続いた。 しかし、アフリカ、旧ソ連邦、その他地域においても、宗主国によって統治されていた状態からの解放をトリガーとして内包する民族問題が噴出したように、スリランカに於いても急速にその傾向が強まり、1972年の憲法改正時に、仏教、シンハラ語に対する特権的地位が明文化されたことを契機として、シンハラ・タミール民族紛争、仏教(シンハラ)・ヒンドゥー(タミール)宗教対立が決定的方向に進んだ。 その後、1983年7月に反タミール暴動が発生し、数千人のタミール人が殺害され、北東部を拠点とする「タミール・イーラム解放の虎(LTTE)」(LTTEは全タミール民族を代表する組織と自らを位置づけている)による反政府武力抗争、タミール独立運動が間断なく続くこととなった。 そして、2002年2月の停戦協定に至る20年間に、南インドカミルナドゥ州を中心として、国外難民40万人、国内避難民80万人を輩出するだけではなく、8万人以上の兵士、一般市民の生命が失われる結果をもたらした(2002年2月の停戦協定以降、約10万人の国外難民の帰還、30万人の国内避難民の帰郷が実現しているが、その多くは「ス」政府軍の設置する高度警戒地域(High Security Zone)、地雷の埋設、家屋・土地の強制接収等々により、自分の土地・家屋に戻れない状況にある)。 LTTE 和平交渉条件 多くの犠牲・破壊を伴った20年に亘る武力抗争も、2002年2月の停戦協定により、一先ず治まり(東部に於けるLTTEのモスレムに対する暗殺・殺戮を伴う抗争は現在も続いているが)、その後、ノルウェーを中心とした仲介もあり、10月31日にLTTE側より「ス」政府に対して、和平交渉条件の回答が提出されるに至った。 この回答は、「全タミール民族を代表する」との前提で始まっており、過去20年間に於いて初めての具体的提案であり、その前進は民族間の確執を離れ、広く歓迎されている。また、この提出により、「今後両者がテーブルに着き、具体的条件交渉が可能になる素地が出来た」とも言われている。 LTTE側より提出された和平交渉条件は、タミール民族が法の下、不平等な扱いを受けてきたこと、LTTEの武力抗争はタミール民族の自己防衛であったこと、歴代の「ス」政府が民族融和・和解に対して公平なる姿勢で取り組まなかったこと、その他シンハラ民族優先の歴代政府を批判する前文に続く全23条項より成り立っている。その概略は、①暫定行政機構(Interim Self-Governing Authority)が設立され、立法、行政(外交を含む)、司法権等、全ての権限を独立して保有、②暫定行政機構は「ス」政府代表(シンハラ)及びモスレム社会任命のメンバーの参加を許容するが、絶対多数はLTTEが任命するタミール人である、③この暫定行政機構は5年間継続し、この間に最終的和平が達成できない場合は、国際監視の下、暫定自治機構の信任を選挙に問う、④暫定行政機構の財政は、国内外を問わず、借款も含めて独立のものとする、⑤「ス」政府が設定している北東部の高度警戒地域(High Security Zone)よりの「ス」政府軍の完全撤退および周辺海域の領有権承認、⑥恒久和平交渉成立までの期間を4年間とする、との内容である。 以上が大筋であるが、要求内容は「自治」ではなく「独立」であるとの見方が大勢を占めており、自治領住民に対する人権の保護については触れられてはいるものの、シンハラ語、仏教に特権的位置づけをしたことで、民族抗争の大きな要因となった憲法問題には触れられていない。更には、恒久和平成立には不可欠であるLTTE軍の解体・武装解除についてもなんら触れられていない。 民族の自衛とはいえ、独立軍隊を保有しながら信頼醸成ができ、和平交渉が進捗していくのか、大きな疑問を残している。また、全ての国民は法の下に平等であり、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的、社会的に差別されないことを保障することが基本である憲法問題に触れずして、民族の確執を超越した真の平和が国民にもたらされるのか、今後の交渉の進展に憂慮と期待が交差する。 和平交渉条件の各項目の是非に付いては、歴史的、民族的、社会的背景、その他多くの要因が内包されている為、安易なる是非論は避けるべきであり、提出された条件のみを基にしての短絡的な見方は慎まねばならないが、紛争予防に携わる国際NGOの一員として、果たしてこの内容を持って何処まで「ス」政府側より譲歩が得られるのか、LTTEが何処まで妥協できるのか、更には、今後の和平交渉に於いてはモスレム社会を参加させることが不可避であることも考えると、民族融和・和解によるスリランカ統一が達成でき、法の下に、全ての民族がスリランカ人としてのアイデンティティを享受し、安寧なる生活の日々がいつ来るのか、その道程は更に永いものとなろう。 報告者:笹井 英毅 |