| 1.到着 2004年1月31日、私は、双発プロペラ機の国連機に搭乗してアフガニスタン、カブールに到着した。空の上から国連機の窓を通して見たアフガニスタンは、乾いた大地、雪に彩られた山々、そのコントラストが印象的であった。 しかし、空港に到着し、アフガニスタンの大地に降りてみると、違ったアフガニスタンが見えてきた。空港周辺は枯れ草に覆われ、所々に航空機の残骸が散在している。滑走路には軍用機が並ぶ。そこには「戦乱の直後」という言葉があてはまる、緊張した雰囲気があった。 空港からカブール市内の途上、車窓から見た市内そこかしこに散見できるのは、破壊された家並み、弾痕の残る壁など戦乱の傷跡。しかし、街行く人々には、新しい復興に向けた活気が見受けられる。 2.地雷・不発弾処理研修と社会復帰支援事業 カブールに到着して暫時、地雷・不発弾処理研修に参加した。これは、当センターの提携団体であるデンマークの地雷除去団体、DDG(Danish Demining Group)との協力によってなされたものであった。今までの地雷や不発弾に対する日本のNGOによる支援とは異なり、現地の人々と共に日本人も地雷原や旧戦場に足を運び、地雷・不発弾を取り除くという「日本初」の事業に向けた研修であると同時に、日本が地雷除去事業に対して、新たに如何なる貢献ができるかを考える期間でもあった。「現地の人々と共に地雷原で汗を流し、共に安全な大地を作る」という地雷除去事業。国連の言う「世界でもっとも危険な職業」である。「顔の見える援助」という言葉、そして、文字通り「開発のための基盤」となる「安全な大地」。それらの実現は、戦乱の後、開発に向かうためになされる、人々の「生命」と「情熱」をかけた挑戦のように思われる。 | PPE(Personal Protective Equipment)を装着して | また、現在当センターでは、首都カブールの北方、カラコン郡において、元兵士(ムジャヒディン)を対象とした社会復帰支援事業を行っている。長い戦乱のため、元兵士たちは若くして戦場に立った。その結果、彼らは戦いと経済的困窮の中、教育を受ける機会を逸し、社会に建設的な貢献を行なう手段を知らない。今、その彼らが、初歩的な識字、計算を学び、これからのアフガニスタンを建設するための職業訓練を受けている。そして3月31日、彼らは5ヶ月間の教育を終えた。元ムジャヒディンたちは、日本大使館、地元行政長官列席のもと、修了証書を受け取り、「破壊」から「建設」に向けた道を歩み始めようとしていた。同日夜、JCCP社会復帰支援事業を修了する彼らの姿が、カブールテレビによって放映された。アフガニスタン全体から見れば、小さな小さな建設に向けた歩みだと思うが、この「小さな」、「普通の人々」によってなされてゆく歩みによって、大地に根を張った「開発」と「復興」がなされていくのだという想いを強くした。 3.生活 日本という「先進国」から、アフガニスタンという国に来てまず驚いたのは、「断水」と「停電」であった。先進国において「当たり前のこと」が、当たり前ではなくなる。当事務所付近では、水の配給があるのは3日に1度程度。電気は1日おき。電気が無ければテレビも電話もパソコンもインターネットも使えない。水が無ければシャワーも浴びられず、洗濯もできず、トイレも流せない。明かりはランプや蝋燭となり、水は井戸まで汲みに行く。しかし、日本では「当たり前のこと」のことができないにも関わらず、日本ではまだ発売もされていないDVDが店頭に並んでいたりする。電気や水の供給が不安定な状況でも、海賊版の最新DVDやCD、OSが売られているのを見ると、奇妙な気持ちになる。 アフガニスタンの人々は、女性に限らずヒゲ面の男性達も「花」が好きである。「花の種」は非常に喜ばれ、多くの人々が欲しがる。たしかに乾いた大地に咲く花は、復興に向けた希望のようでもあり、喜びを感じさせる。また、草木に水をあげる彼らの姿は、私にとって、アフガニスタンという国名から想像するイメージとは程遠く、驚くほど新鮮であった。 しかし、そんな彼らが生活している毎日は、足元に地雷や不発弾が埋まっている道を歩く毎日である。当センターが実施している社会復帰支援事業のプロジェクトサイトでも、処理に困った地域住民が不発弾(UXO: Unexploded Ordnance)を持ち込むということが数件あった。春になりアフガニスタンの人々も大地を耕す時期になった。その意味するところは、大地に鍬を入れる度に、地雷や不発弾を起爆させることと向き合う毎日なのである。 4.これから 3月31日からベルリン会議が開かれ、アフガニスタンの将来に向けた取り組みが議論された。しかし、ベルリン会議での議論は、アフガニスタンに暮らす人々の日常からは非常に遠いように感じられる。街ではいまだAK47ライフルや拳銃($40程度から)が売られ、村落周辺では地雷や不発弾が見つかっている。2002年には、3万9,530個の地雷が除去され、87万3,234個の不発弾が処理された。にもかかわらず、地雷および不発弾で1,132名が負傷し、手足を失い、154名の方々が死亡している。地雷除去要員は28名が負傷、12名が死亡している。農地に地雷や不発弾が埋まっていても、人口の75%を占める農民は耕すしかない。そんな毎日の中で、人々は生きている。 アフガニスタンにも、新しい春がやってきた。春は待っていれば巡って来る。しかし、平和と復興は、人々の意志と営為によってのみ創られる。よりよい暮らし、地雷や不発弾の無い安全な国土、治安の回復、経済・産業の新生、政治の確立。アフガニスタンがこれから歩んでいく道のりは遠く、容易ではない。その道のりは、そこに関わる人々の強い意志と大きな努力を要求している。 ともすれば、アフガニスタンが抱える問題があまりにも大きく、深く、広いために、援助関係者もアフガニスタン人も無力感にとらわれがちだと思う。しかし、諦めたり、絶望したりしてしまっては、明日のよりよいアフガニスタンは無い。23年にわたる戦乱は、アフガニスタンの国土に深い傷跡を残した。同時にアフガニスタンの人々の心と精神にも深い傷跡を残したように思う。眠りに落ちたときに、夢の中で殺戮と戦場が見えるとある人が言っていた。子供たちは航空機の爆音を聞いたとき、泣き出すという。 人々の「精神構造」を変え、戦乱を生み出し、継続させてきた「構造」を変えることが、真の紛争予防へとつながっていく。1人の日本人としてアフガニスタン復興の一端に関わっていて思うのは、自分の役割をしっかりと果たしていくということの大切さだ。私1人の役割は、小さいものである。しかし、多くの人々の小さな営為が積み重なってこそ、国という大きな集合体は変わっていく。国際支援といったとき、その支援は、アフガニスタンなど援助を受ける国の中のみで行われるものではない。日本国内でも支援のための理解を深め、重要性を訴え、支援の枠を広めていくなど、できることはたくさんある。いま、私たち1人1人の意志と営為が試されている。 報告者:林 裕 |