2003年8月のカブール
2003/8/31

 8月20日の朝、国連アフガニスタン地雷対策センター(UNMACA)では翌月離任する私の後任の役割分担を決める話合いが少人数でもたれていた。ミーティングが始まって5分ぐらいすると、ユニセフの職員が急に部屋に入ってきて、パトリック(ユニセフ出身のUNMACAの新しい広報担当官)を外に連れ出した。そして、まもなく堪え切れないような彼の嗚咽がドア越しに聞こえてきた。昨日の国連バグダッド本部爆発事件の被害者の中に、彼の親しい人がいたのだろうと察した私達は取り敢えず会議を延期することに決めた。

 国連や援助関係者へのテロはアフガニスタンでは今年3月の国際赤十字メンバー射殺事件以来、地雷除去NGO施設へのロケット弾の撃ちこみ等、頻繁に行われている。5月にBBCラジオのパシュトゥン語による討論番組に衛星電話を通じ参加したタリバン勢力のスポークスマンは、「タリバンが政権を掌握していた頃には国連主導の地雷除去に協力していたのに、なぜ今頃になってアフガン人の地雷除去従事者を攻撃するのか」との司会者の問いに対し、「それは彼らが米国のためにスパイ活動をしているからだ」と答えた。理想を追求する援助関係者や、命懸けで地雷除去作業に従事する者達が、その国籍や宗派を問われることなくテロに晒される。いくら自分達は中立な立場にいると訴えても、テロリストは聞く耳を持たない。

 二週間後にアフガニスタンを離れる私の今の心境は、雲一つない青空のようなものだとは言い難い。「地雷除去を通じ、日本を始めとした国際社会からの援助が、どのようにアフガニスタンの民主化、国民の福利向上、そして国家再建に繋がるか確かめたい」という赴任当初の希望が実現するには1年の期間は短すぎる。確かに携帯電話事業の発展、真新しいレストランやホテルのオープンなど、商業活動は目に見えて活発化してきたが、1年前には比較的おとなしくしていたタリバン残党が、今では数百人単位の戦闘員を組織して、米軍や新アフガン国軍と戦闘するなど、確実に国内治安は悪化している。現に今日(8月31日)、テロリストがカブール市内で自動車による自爆テロを企んでいるという警戒情報が発出され、三叉路の角に位置するMACA事務所は標的になりやすいという理由から、私達職員はそれぞれ宿舎にパソコンを持ち帰って作業している。

 しかし8月になって、ネガティブなことばかりではなく、成功すれば、アフガン復興を加速度的に推進するであろう試みも数多く見受けられた。米国は対アフガニスタン支援の大胆な梃入れを意図しているらしく、日本にも協力するよう打診した旨報道された。米英軍は少人数ながら地方再建部隊を組織して、国際治安支援部隊(ISAF)が展開していないマザール・シャリフ等の主要地域に派遣し、地方で抑止力としての機能を果たそうと努力している。ISAFについては、この8月からNATOが指揮権を握った。国連のブラヒミ特別代表は、首都に限定されているISAFを全国展開するよう国連安全保障理事会に訴えた。カルザイ大統領はDDR(武装解除・動員解除・元戦闘員の社会復帰)プロセスの条件の一つである国防省改革を近々実施すると約束すると共に、アフガン西部のヘラートで実権を握る軍閥のカーン知事を、地方軍司令官の職務から解任すると発表した。20数年続いた内戦から脱出しつつあるかに見えたアフガニスタンは,今大きく揺れている。単純な構図は避けたいが、原理主義に逆戻りするか、それとも国際社会に名実共に復帰するか。振り子の落着く先は未だ定かではない。

 8月19日のバグダッドの爆破事件の犠牲者を悼んで、UNMACAの前庭に掲揚される国連旗は翌20日から23日まで半旗だったが、24日の日曜日から再びポールの一番上に引揚げられた。その旗を見ながら、いつか本を読んで見つけた言葉を思いだした。「悲観主義は感情であり、楽観主義は意思である。」カブール特有の8月の砂嵐に大きくなびく国連旗を前にして、これからも自分は楽観主義で行こうと考えた。

報告者:小泉 尊聖 

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