中米とアフガニスタン-日本の平和構築支援のあり方
2003/2/28

 本年2月22日、東京においてアフガン暫定政権のカルザイ大統領を迎え、「アフガニスタン「平和の定着」東京会議~銃から鍬へ」が開催される一方、カブールではソ連軍撤退記念祝賀により興奮した大衆からの攻撃対象にならぬよう、国連職員はなるべく目立たない行動をとる旨指示が出されている。

 NGO拒否問題のみ大きく取り上げられたアフガン復興支援会議から1年の月日が流れた。その間、日本政府は川口外相が提唱する「和平プロセス」、「国内の治安」、「復興人道支援」の三本柱から成る「平和の定着構想」、さらには緒方アフガニスタン支援総理特別代表の「人道支援から復興開発支援へのスムーズな移行」を主眼とする「緒方イニシアチブ」を打出すなど、同国における平和構築プロセスにおいて積極的な役割を果すべく努力してきた。2年半以内に5億ドルの対アフガン支援を実施する日本の国際公約は着実に実行されようとしている。筆者の所属する国連アフガニスタン地雷対策センター(MACA)は、2001年の米軍の空爆により破壊された地雷除去機材の原状回復のために1,500万ドルを提供した日本政府に今もなお感謝している。

 そして、JCCP理事の伊勢崎賢治氏を在アフガニスタン日本大使館のDDR(武装解除、動員解除、元戦闘員の社会復帰)担当アドバイザーに迎え入れ、アフガニスタンの平和な国造りに向け完璧な支援体制を構築すると共に、22日の会議において元戦闘員達の職業訓練等のために日本政府が新たに41億円拠出する旨発表された。

 筆者は内戦終結後間もない中米の日本大使館に専門調査員として計6年勤務する経験を得たが、その折に感じた「日本のODAは確実に、被援助国の復興に寄与している」というオプチミズムは、この「国」に住み始めて半年経ってもなお、残念ながらアフガニスタンでは看取できないでいる。

 80年代の内戦と共産政権の経済運営の失敗により疲弊し、ラテンアメリカ諸国においてハイチに次ぐ最貧国であったニカラグアは、旧サンディニスタ国軍と旧コントラ反政府軍双方の指導部に自らの子息を配したビオレタ・チャモロ元大統領が文字通り国母として、同国の和平プロセスを指揮した。同時に敬虔深いカソリック国であるニカラグアにおいて、行政権と立法権の対立等の国家の危機の際にはオバンド枢機卿という理想的な仲介者が現れ、事なきを得た。そうした情勢の中、対ニカラグア支援トップドナー国の日本の援助は、国を挙げて復興開発へと進む同国を後押しするものとして、その有効性に口を挟むものは少なかった。

 約40年間に及ぶ内戦を96年の和平協定調印により終結させたグアテマラでは、先住民と非先住民に二分される同国の二重構造と、そこに派生する人種による極端な社会経済格差が、内戦の遠因、ひいては紛争要因もしくは構造的暴力の存在理由として、内外で広く認知されていた。日本からの対グアテマラ援助は抑圧されてきた先住民を優先的に裨益することが当然視された。また、真の国内融和を図る手段として国連の肝入れにより創設された真相究明委員会は、内戦中の国軍および反政府ゲリラの人権侵害事項を調査する目的のもと、命賭けの作業を続けたが、同委員会に日本政府が多額の経済支援を行ったことは日本では余り知られていない。近年のコーヒー国際価格の下落等、同国を巡る状況には厳しいものがあるけれども、トップドナーとして日本がグアテマラに提供してきたODAは同国の宿命的課題である先住民問題に直接、間接的にアプローチするものとして好意的に受止められている。

 中米二カ国の和平プロセスとアフガン和平の決定的な違いは、そこに国民の主体的な関与が存在したか否かである。ニカラグアではサンディニスタ政権のオルテガ大統領と国民野党連合の支援を受けたチャモロ女史の一騎打ちにより、同国の民政移管が実行された。その伝統を重視するニカラグア国民は、立法・行政・司法の三権に選挙を加えた国家4権体制を憲法により規定している。グアテマラでは戦闘の面では圧倒的に優位であった国軍が、冷戦体制の終焉により、自らの人権侵害問題が国際的にクローズアップされることを恐れ、内戦の平和的終結を模索したことと、ノーベル文学賞受賞者の息子をリーダーの一人にかかげる反政府ゲリラが抜群の外交手腕を発揮して、国際社会の一部の支援を得たことが大きく功を奏した。

 ニカラグアでも、グアテマラでも、他の手を借りながらも、いわば国民の意思で和平を達成したが、アフガニスタンにあっては、9・11後の米国の介入なしに、今日の状況があったとは考えづらい。昨年の緊急ロヤジルガではアフガニスタンの国内団結の象徴としてザヒル・シャー元国王の国家元首就任が一部で探られたものの、国際社会からの支持が得られず、カルザイ大統領の誕生を見た。反タリバンで米軍と一致協力した軍閥は、共通の敵であるタリバン政権崩壊後も各々の思惑のもと、地方において権力を振るい、散発的な戦闘を続けている。北部ではドスタムとアッタの衝突は時間の問題と目され、西部ではイスマエル・カーンが武装解除を拒み、南部ではタリバンとの密接な関係が噂されるヘクマティヤル元大統領が、ISAF(国際治安支援部隊)等外国人に対する聖戦を宣言している。厳密な意味で、ここには日本が過去に和平プロセス推進の支援対象としてきたような国の姿はない。

 病気の原因を知らないで治療することほど危ないものは無い。89年のソ連撤退後にアフガニスタンは国際社会からの多大な援助を受けながらも、なぜ二世紀にわたり戦禍にまみれざるを得なかったのか。今回の9・11後の対アフガン援助に過去の教訓はいかされているのか、問わずにはいられない。特に軍閥が戦力を保持した状態の同国において、DDR事業に積極的に乗り出そうとする日本政府の姿勢には火中の栗を拾いに赴くような悲壮感を感じる。国連シエラレオーネ派遣団DDR統括部長や国連東チモール暫定統治機構県知事を歴任した伊勢崎JCCP理事のアフガンDDR担当アドバイザー就任は最善の人事として評価できる。日本の外務省より氏に与えられたマンデートが職業訓練等の従来の経済協力に限定されずに、政治的に踏込んだ内容、たとえば対立する軍閥間との信頼醸成による武装解除への道の模索、そして米国を巻き込んだ国際社会の対アフガンDDRプロセスについてのコンセンサス作りまでカバーされていることを望む。日本政府は今後の外交戦略の一環として、破綻国の国造り、平和構築支援を重視しているが、それが単なる経済協力に終わっては、そのインパクトさえ疑問視される結果となる可能性もあることを忘れてはならない。アフガニスタンにおいて、地方軍閥の抜本的な武装解除を試みないで、DDRを確実に進展させることは難しい。万一、軍閥の戦力がこのまま保持されるならば、無事に翌年の総選挙を迎えることは他国の例から判断するに困難である。アフガンDDRプロセスのリーダーシップを担う日本政府の前に、大きな課題が横たわっている。

報告者:小泉 尊聖 

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