「混沌国家」の現実を見て考えたこと | 日本紛争予防センター理事長 青山学院大学教授 伊藤 憲一 | 日本紛争予防センターが現地に事務所を置いて活動しているアフガニスタンとカンボジアに出張してきた。「世界の地底」とでも呼びたくなるような両国の実態は、机上の書類をつうじてしか両国を知らなかった私にとって、想像を超えた現実であった。これらの諸国は世界から「崩壊国家」とか「混沌国家」とかと呼ばれているが、その現実について、これまでの私の知識はあまりにも抽象論であり、一般論であった。そのことを痛感した。 イスラマバードからカブールに向かう飛行機の窓から見下ろす眼下の世界は、果てしなく広がる砂漠ならぬ土漠の世界であった。一木一草も生えていない。「まるで月面のようだったでしょう」と、在カブールの邦人に後からいわれたが、生きることの困難さを目の前に突きつけられたような厳しい自然環境であった。 投宿したカブール唯一のホテル(自称「インターコンチネンタル」だが、世界的な「インターコンチネンタル」チェーンとは無縁)は、滞在中ほとんど停電で、夜になると自家発電のロビーと廊下以外は真っ暗闇だった。改めて電気と文明が一体のものであることを痛感した。電灯から始まって、ヒーター、エアコン、電話、ファックス、パソコン、プリンターなどのすべてが、電気なしでは動かないのだ。カブールでは上下水道もない。 道路は車で溢れているが、車線が引かれてなく、警官の姿もほとんどない。警官は、いても、訓練ができていないらしく、交通整理をすることもない。「交通事故になったらどうするのか」とアフガニスタン人の運転手に聞いたら、「警察は頼りにならないから、当事者同士で示談する」という。「それじゃ、強い者が勝つ、ということにならないか」といったら「そうだ」という。第一、ナンバープレートのない無免許車がいたるところを平気で走っている。 これらすべての「崩壊・混沌」現象の中核に有効な中央政府の不在という根本的事実があることは容易に想像がつく。カルザイ政権は国軍を建設中だが、4大隊2千4百人の新兵の訓練を終えたら、(訓練期間中より給料が安くなるため)その半分が辞めてしまったという。他方、地方を支配する軍閥たちはそれぞれ何万人もの兵士を抱えて、食わせている。その財源は勝手な徴税であり、麻薬取引である。それを中央政府はどうすることもできない。現在首都カブールの治安を維持しているのは、国際治安支援部隊(ISAF)であって、国軍ではない。 カブールから車で北西西に約1時間走ったところにファルザ郡という7村あわせて4万人ほどの地区がある。途中の幹線道路沿いの建物とそれを取り囲む塀は、タリバンとの内戦でほとんど破壊されて、ゴーストタウンになっている。破壊された戦車や装甲車もそのまま放置されている。アフガニスタンでは、すべての家屋やオフィスや集落は塀に囲まれている。塀のためにアフガニスタン人が使う建設資材の総量は、かれらが建物のために使う建設資材の総量を超えているのではないか。そう私が確信したほど、とにかくやたらと塀(といっても、中には砦のように堅固なものもある)が目立つ。後で分かるのだが、これらの塀の内部には必ず自衛のための武器があるのだ。それらを取って立ち上がれば、男子ならだれでもすぐ即席でムジャヒディン(戦士)になる。私を迎えてくれたファルザ郡の男子たちもそんなムジャヒディン予備軍(というより、じつは元ムジャヒディンたち)だった。 日本紛争予防センターは、ここで「平和構築ワークショップ」という平和教育をやっている。「紛争やトラブルは力で解決するしかない」と思い込んでいるかれらに、「そんなことはない。事件や争いは、ポジティブに対応すれば相手もそれなりに反応し、良循環が始まる。しかし、ネガティブに対応すれば悪循環しか始まらない」といったようなやりとりのワークショップである。これを村々に入っていって、半年間やる。 カンボジアでも感じたことだが、「崩壊国家」や「混沌国家」は、人間なら瀕死の重傷あるいは重病人に匹敵する。福祉国家の理念を国内だけでなく、世界に拡大して、病気(紛争)を治し、健康(人道・開発)を助けることは、われわれにできることであり、しなければならないことだと思うが、日本人の皆さんはいかがお考えであろうか。 2002年12月19日付『産経新聞』「正論」より転載 |