| 10月3日に、コロンボから北へ3時間の海沿いの町プッタラムにて、草の根無償資金援助によって建設された多目的コミュニティセンターの完成式が行われた。このコミュニティセンターは紛争によって北部から逃れてきた国内避難民に対しての職業訓練、診療所、平和教育や周辺児童への幼稚園などを目的として建設されたものであり、日本紛争予防センター(JCCP)と地元NGOコミュニティ・トラスト・ファンド(CTF)の共同プロジェクトである。建設された場所はプッタラム郊外の2地域、マナルクンドゥルとダルサラムであり、それぞれ国内避難民の集落がこの地域に集まっている。完成式は在スリランカ日本大使館の大塚大使も出席し、盛大に行われた。 プッタラムはスリランカ内でもっとも乾燥しており、暑い地域の一つである。周辺の景色は椰子の木、または低木類と赤い土壌が目立つ。気候の為か、入り江(プッタラム・ラグーン)沿いを走ると広範な範囲で、あちこちが白く盛り上がっている塩田を見ることができる。このようなプッタラム周辺では、水の確保は至上命題とも言える。スリランカは、古代2000年前にはすでに高度に発達した灌漑施設を持ち、それを農作業に使用していた歴史がある。これは各貯水池が空になった場合でも隣接の池から水を補給する、という相互作用も確立されたものであった。しかしながら、現在は干上がっている貯水池が多く、何よりも紛争の影響により機能が壊されているもの、管理が出来ずに潅木が生えすぎて使用できなくなったものが多い。こうした状況の為、コミュニティセンター周辺の人々の中には、毎日片道10キロ以上の道のりをかけて水を確保している人もいるという。現在はJICAや各援助団体が貯水池のリハビリテーションに取り組んでいるところである。また、井戸を掘れる場合にはそれを使用し、またそれぞれの建物上に備え付けてある貯水タンクに水をためている家もあるようである。 今回完成式が行われたマナルクンドゥル・コミュニティセンターはこのようなプッタラム地域の、中心から15分ほどの距離に位置している。周辺は舗装されていない道が入り組んでおり、小さな家々が椰子の葉で作った塀で区切られ並んでいる。完成式において何よりも驚いたことは、人々の、とにかく入念な準備であろう。以前訪れたときにはコミュニティセンターへ続く単なる道でしかなかったところが、スリランカと日本の国旗で飾り付けられ、何処からこれだけ集まったのかと思わせるほどの人々であふれていた。そして、大塚大使と池上JCCPスリランカ代表代行が車から出て行くと、コミュニティセンターへと続く道上から歓迎のダンスなどで迎えられた。こうした中、自分はJCCPスリランカ代表事務所の現地スタッフであるアイバンとともにカメラマンの役目を仰せつかっていたが、写真を取る場所さえ確保できない状況であった。ゆっくりと歓迎のダンスに合わせて歩いてくる一同を正面から写そうとしても、集まっていた他多数のジャーナリストに押しのけられてろくに近寄れない有様である。しょうがないので、かろうじて遠くからズーム機能を使って撮っていた。さすがにアイバンは慣れているのか、後で見ると「どうやってこんな場所を?」というようなポジションからの見事な写真を多数撮っていたが。カメラマンというのは技術を要する職業であることを、ほんの少しだけ実感した経験でもある。 それにしても、コミュニティセンター入り口までの歓迎ダンス、道のり約50メートル。いまだに思い出すのは照り付ける容赦ない陽射し、そして暑さと、その中しっかりとスーツの上下で正装していた大塚大使である。「これも仕事のうち」と言っていたが、自分だったら途中で脱水症状により倒れていたのではないかと思う。 とにかく動く場もないような歓迎の人ごみの中、日本、スリランカ両国の国旗掲揚などを経て一行はコミュニティセンターの中へ、完成式が行われた。色々と偉い方や宗教の方がスピーチをする合間には、コミュニティセンターの幼稚園児であろう子供たちのダンスなどが披露された。 特筆すべきは大塚大使のスピーチであろうか。シンハラ語、タミール語、イスラムの言葉、英語と四通りの言葉での挨拶から始まり、シンハラ語、タミール語でスピーチを続けていった。英語以外は分らない自分には、何を言っているのかさっぱりであった。しかし、大塚大使が一言口にするごとに回りの人々の笑いが弾け、スピーチの後には非常に盛大な拍手を受けていた。そういえば、自分のスリランカ人の友人の家族から聞いた話であるが、大塚大使はとにかく多芸で有名であるらしい。流暢なシンハラ語を話し、テレビに出演しては歌を披露し、伝統的な踊りもするとか。誰でも知っている非常にポピュラーな大使だ、とのことである。自分は現在スリランカに来て一ヶ月。今後は語学も頑張って、少しでもこちらの言葉で人々と意思疎通できるようになりたいものである。 完成式後の昼食はCTFスタッフの方達、さらには完成式に出席していた人々も多々来ていたようである。大塚大使、池上代表代行がスリランカ式に手で直に食事を取る横で、逆にスリランカ人のCTFスタッフが皆スプーンを使っていたのが印象に残っている。なお、この時自分はまだ手で食事をする方法が良くわからなかったので、スプーンを使用していた。 今回、コミュニティセンターの完成式を見て、国内避難民の方たちがどれほどこの施設に期待をしているのか多少なりとも実感できたように思う。完成式以前から既に活動は多々始まっており、以前に訪れたときは援助で提供されたミシンを使って職業訓練が行われている最中であった。また、コミュニティセンターの外には子供用の遊具があり、幼稚園児から小学生ぐらいまでの子供が大勢集まって遊んでいた。診療所には、当初の予定よりも多くの日数、医者が滞在することになっているようであり、地域の人々の健康状態にも迅速に対応できるであろう。 ところで、完成式の間、自分はカメラマンとしてうろうろしていたのだが、集まってきている人々が自分に対してゲストとして接して下さったことに、自分は多少後ろめたい気持ちを覚えたものである。つい最近この国に来た自分は、このコミュニティセンター建設にはなにも貢献していないといえる。それにもかかわらず、同じ日本人、組織の一人と見られ、立っていればわざわざ空けて椅子を勧められ、歩いていれば人ごみのなか道をあけてもらい、丁寧に扱っていただけたことは正直言って不相応で申し訳なく感じてしまった。せめて、こうした人々の好意にこたえるために、今後のスリランカ滞在でできる限り頑張っていきたいと思う。 なお、11月2日にはダルサラムにあるもう一つのコミュニティセンターで完成式が行われた。ダルサラムはプッタラム・ラグーンを囲む、海に突き出た半島の先端部分に位置する。ここのコミュニティセンター周辺には電気もなく、コミュニティセンターには発電機を提供して電力をまかなっている。マナルクンドゥルのコミュニティセンターが450家族を対象としているのに対し、ダルサラムは75家族を対象としている。 このため、ダルサラムの完成式は、前回と比べて小規模なものになると予想していた。しかし、実際には前回のマナルクンドゥルにおけるコミュニティセンター完成式となんら変わりない規模のすばらしい完成式となった。今回は丁度一週間前にスリランカに到着したJCCP「紛争予防市民大学院」海外研修コース研修生と共にこの完成式に参加したのだが、皆熱烈な歓迎を受け、同時に国内避難民についての様々な問題にも触れることができたようである。 | 記念石版を前に。池上代表代行(右)とCTFのニフマス氏 | UNHCRによれば、11月までに約18万3千人の国内避難民が、自発的に故郷へ帰還し、現在ほとんどの国内避難民は帰還する途上にあるか、または既に故郷へ帰還しているという。しかし、これはここプッタラムの国内避難民の人々には当て嵌まらない。なぜなら彼らはムスリム系タミール人であり、言うなれば「忘れ去られた存在」であるからだ。一般にヒンズー教徒であるタミール人、そして仏教徒であるシンハラ人との間で、ムスリムの人々は社会的に抑圧を受けてきた。元々彼らが国内避難民となった契機も、LTTEによる民族浄化政策にあったといえる。LTTEは1990年代の初めに、有名な「一日勧告」をムスリム人に与え、24時間以内にLTTE支配地域から退去すること、と命令した。このためにほとんどの人々は、ろくに家財道具を持ち出すまもなく国内避難民となってしまったのである。 | CTFニフマス氏より国内避難民について説明を受ける研修生 | 国内避難民とは、国際機関から法的に難民としての保護を得ることが難しい存在である。しかも、シンハラ、タミールのどちらにも属さないムスリム人は、政府からの保護も得ることができず、また同時に今現在でもタミール人から抑圧され続けているといえる。LTTE系の組織が、北部マナーのムスリム人に脅迫や脅しの文章を送りつけるという問題が起こったのは、2ヶ月前のことである。既に国内避難民となってから10年以上が経過し、子供達にとっての故郷とはプッタラムの集落である。依然として対応をしようとしない政府、そしてムスリム人の安全を保証していないLTTE。タイで先日行われた第2回目の和平会議でも、ムスリム人の問題は棚上げされたままであった。このような中、プッタラムの人々の将来、そして包括的なスリランカ和平が如何様になるものであるのか、今後に注視していきたいと思う。 報告者:古本 秀彦 |