アフガニスタン難民の声に耳を傾け、助けよう
2002/3/25

 私は、仕事や遊学のためにいわゆる「第三世界」であるインド、中国、インドネシアなどの国々に行ったことがありますが、その国で出合った人々はアフガニスタン難民や国内避難民に比べるとはるかに恵まれています。去年12月17日から31日まで私は現地調査のためにパキスタンとアフガニスタンに派遣されました。その調査の目的は、当センターがアフガニスタンで紛争の再発防止のために誰と提携して、どのような活動を来年度に実行できるかを調査することでした。そのために現地を回って、NGO(非政府組織)の代表達、政治指導者、軍人指導者、難民と国内避難民や一般人とインタビューしたり、対談をしたりして具体的な活動への第一歩を踏み出しました。

 当センターより派遣されたのは私一人でしたが、最初の一週間、代議士の塩崎恭久先生、河野太郎先生、下地幹郎先生とピースウィンズ・ジャパンの統括責任者の大西健丞氏と同行しました。国内外のアフガニスタン難民と避難民キャンプを訪問しましたが、一番印象的だったのは、20日に見学したアフガニスタン内のサリプール避難民キャンプでした。サリプールは北部の主要都市であるマザーリ・シャリーフ(以下にマザーリ)から南西の方向に車で5時間ぐらいのところです。マザーリには戦禍をこうむった場所があちこちにありましたが、市場はある程度食糧が手に入るし、生活用品の店も営業していました。町全体に緊張感が溢れていましたが、北部同盟軍がしっかり警備し、フランス軍も郊外に位置している空港周辺を見張りしていたので治安はいい方だと言えます。

 でも、街から離れると護衛なしで行動するのは賢明ではないと強く言われました。私は代議士達と同行していたので、どこに行くにも北部を支配している北部同盟軍が私達を護衛してくれました。マザーリとサリプールの間に広い砂漠がありますが、旱魃によって普通より乾燥していました。街は強い風が砂を巻き上げ、遠くまで見えない状態でした。この厳しい環境下に村が点在していて、殆どの家が放棄され倒れていました。アフガニスタンの殆どの建物は泥でできており、維持しないと厳しい気候にさらされて崩れてしまうのです。その上、わずか数週間前にはこの地方はタリバン軍と北部同盟軍の激戦地であったので、無数の弾痕が生々しい家が多くありました。案内者によると殆どの住民は戦いが始まる前に旱魃によって避難せざるを得なかったが、極端な貧困で避難さえも出来なかった人々は近くにある山に隠れて飢餓に瀕しているということです。時々北部同盟軍の検問所を通ると、自動装てん式のロシア製AK47銃で武装した若い兵士達がじろじろ私達を見ていましたが、ちょっと笑顔を見せたら、笑顔を返してくれたのでほっとしました。

 サリプールに近づくと、このあたりには最近雨が降ったためか少し緑が見えてきました。住民は今年の収穫がここ3年間と同じように旱魃で失敗に終わらないようにアラー神に必死に祈りを捧げていました。雨は作物にとっては良いけれども、砂利道が泥だらけになり、車が通れなくなる恐れがありました。4駆車で移動していた私達は、ゆっくり進みながら、やっとサリプール街に到着しました。殆どどこを見ても何時代であるかわからないぐらい住民は素朴な生活をしている様子でした。車もない。電気もない。男性はアフガニスタンの伝統的な洋服を着て、女性はブルカという全身を隠す黒い服を被っていました。驢馬は馬車を引いていました。殆どの建物は泥でできていました。市場は賑やかであったけれど売っている食糧は少ないようでした。意外なことに、広場にガソリンで動く錆だらけの小さい観覧車が回っていて、乗っていた子供達の笑顔がとても印象的でした。

 サリプール街を通り抜けると、難民キャンプが見えてきました。25,000人程度の大きい難民キャンプで、半径100キロ以内から旱魃や紛争のために家、土地、家畜、などを放棄してサリプールにきた家族達が悲惨な状態で暮らしていました。難民達は穴を掘って、縁に泥で低い壁を作り、その上に布やプラスチックシートを屋根代わりに被せた2畳ぐらいのスペースで生活していました。雨のため床は泥だらけで、それでも地べたに直接寝起きするような生活です。そのような悲惨な状況に長い人は5年も住んでいるそうです。サリプールの標高はそう高くないので雪は降らないけれども、真冬の夜に零度になる時もあるそうです。子ども達は笑顔が可愛らしかったけれども、そのような状況なので健康状態は悪く、国境無き医師団がもうすでに小さいクリニックを建設し、治療し始めていました。医師によると一番の病気は呼吸器疾患だそうです。

 キャンプにいる子ども達を見た時、私は自分の2人の息子を思い出しました。同じ地球に住んでいるのに、我が子と難民の子ども達は別世界のように生活しています。アフガニスタンの子ども達の将来は、最近になってやっと先進国が注目し始めたので明るくなってきたとはいえ、この難民達が以前の平和な農村生活に戻るまでにはまだまだ長い道のりが残されています。

 難民が自分達の家に戻らない理由の一つは治安が悪いことが上げられます。タリバンの兵士はまだあちこちに隠れていて、いつ攻撃するかわからないということです。また、北部同盟のドストム将軍と面談した時、内戦が再び勃発しないように最善の努力をすると言って人々を安心させようとしてはいるものの、今日のニュースを見るとまだ派閥間の戦いが続いている状況です。

 当センターは、平和な生活への長い道のりを少しでも短くするために、日本で活動する唯一の紛争予防を目的としたNGOとして、今までにスリランカ、カンボジアと中東で代表事務所を開設してきました。アフガニスタンにおいても、紛争が再発しないように様々な活動をこれから実行する予定です。2月に明石康会長と阿曽村所長がアフガニスタンに出張し、カルザイ暫定政権代表と面談してアフガニスタンの深刻なニーズを更に調査しました。その後、3月に事務所をカブールに開設し、現地のNGOや政府と提携し、具体的な活動を通して難民や避難民が普通の生活にいち早く戻れるよう様々な努力をしています。具体的には、小型武器回収、地雷除去、兵士の社会復帰のための職業訓練、平和教育などの事業を通してアフガニスタンの復興を目指しています。

日本紛争予防センター
事務局主任 キャメロン・ノーブル

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