インド震災救援活動-未来の希望「子供たち」 | 2001/5/10 | | | 震災で壊れた村の家々 | | | テントを張る池上事務所員 | | | 配布したテント(大型)と村人 | それは神戸の大震災を思い起こさせる光景であった。 今年2月26日にインド西部を襲った大地震はグジャラート州を中心に3万人以上の犠牲者を出し、マスコミの報道が無くなった今なお被災者の多くが瓦礫の中で生活に苦しんでいる。 昨年、日本のNGOと政府および経済界が一体となって緊急援助を行なうジャパン・プラットフォームが創設され、今回その活動第一弾としてインド派遣が決定された。日本予防外交センターは、プラットフォームNGOユニット理事として、他の日本のNGOと共に救援活動をおこない、主に被災者用テント1100張りの配布を実行した。 現地では余震が続き、震災への恐怖心から家が残っていても市民は野外で寝泊りしていた。我々が救援活動を行なった2月の1ヶ月間は、日中30度を越える暑さで夜間は10度前後まで冷え込み、体調を崩し健康を害する人が多数いた。日本人チームはテントの配布に活動ターゲットを絞り、800張りをパキスタンから、300張りをインド国内から調達して被災者に配布した。 我々が設置した被災者キャンプで子供たちから話を聞くと、しばしば家族や親類が震災で亡くなったという話が出てきてドキッとする。 心の底には震災によるトラウマがあるのではないかと思うのだが、子供たちはとにかく明るい。どのような状況下でも、遊び、楽しみ、未来に希望を持って成長し続けている。インドの子供たちを通して、自然災害にも負けない人間のたくましさを強く感じた。 被災者キャンプでは、配給したテントを利用して、さっそく村の学校が始まった。3~4才から10才前後までの子供が30人ほど地面に座って、黒い板に何か書いている。我々が行くと、かわいらしい大きな目をさらに見開いて、グジャラート語の挨拶をしてくれる。子供を大切にするインドの人々にとって授業再開はキャンプ内で村の再生を象徴する出来事であった。村人が目を向ける方にはいつも子供達が歓声を上げる学校テントがある。市の中心部でも、電気が一部回復するのとほぼ同時に、中・高等学校が青空教室を開始した。 | 配布したテントを使用して学校を再開 (小学生の授業風景) | 教育に熱心なグジャラート州では海外に出て成功する人が多い。そして結束が固い。今回もヨーロッパとアフリカの同胞から多額の義援金がもたらされた。かのガンジーもグジャラート州の出身で、やはり南アフリカに行って弁護士として活躍し、人間の平等とインド独立運動に目覚めたそうである。 その後、私はスリランカの元の職場に戻って平和教育活動を続けている。日本予防外交センター南西アジア代表事務所では民族紛争の拡大防止と平和構築のプロジェクトを行なっているが、対立する民族間に入って平和を説いても民族主義に凝り固まった大人達は聞く耳を持たないことが多い。当事務所では真の民族和解には数世代かかると考え、柔軟で創造的な思考を持つ青少年を対象に、民族を超えた人権尊重を教える『ピース・キャンプ』を開催して、大変な好評を得ている。 スリランカから見ると隣の大国インドとパキスタンはカシミール問題を巡って長年戦争を繰り返しており、両国が核兵器を所有するに至った今日、極めて危険な状況にあるといえる。 今回のインド西部大震災では、対立するパキスタンより緊急援助があり、両国の信頼醸成に繋がるものと期待された。しかし現地で実際にインドの人々から話を聞くと「援助なんかうそだ」、「パキスタン人は援助と言ってやって来ては我々の物を盗んでいった」、「震災に乗じてパキスタンが攻めて来る」等々肯定的な意見は無く、両国の不信の根深さを思い知った。インドとパキスタンでも平和と信頼醸成は新しい世代に希望を託し、青少年に平和教育をする事が大切であろう。同じアジアの兄弟同士が広島・長崎のあの悲惨さを再現しないよう、日本はこの地域の平和啓蒙活動に力を入れるべきである。南アジアの平和にとって、最大援助国であり、被爆体験のある日本の役割と責任は重大であるといえるのではないだろうか。 以上 |