(1) 予防外交への関心
 日本紛争予防センターの歴史には3年弱の日本予防外交センター時代という前史がある。さらにいえば、そのまた前の3年間にわたる予防外交国際研究グループ時代という前々史がある。この6年間にわたってセンターを卵として暖め、雛として育てたのは、日本国際フォーラムであった。日本国際フォーラムは、政策志向の外交国際問題のシンクタンクであり、世界平和の維持は設立以来常にその最大関心事の一つであった。実際、1992年10月には政策提言「国連の平和機能の強化と日本の役割」を発表している。しかし、当時はまだ「紛争予防」という言葉は一般に使われておらず、「予防外交」という言葉もやっと一部専門家の間で話題になっていた程度であった。そんな中で、日本としてもこの予防外交なるものを本格的に研究してみる必要があるのではないかということを日本国際フォーラム理事長であった伊藤憲一に説いたのは、笹川平和財団理事長の入山映であった。二人が意気投合して日本国際フォーラム内に予防外交国際研究グループを組織したのが、1996年である。座長には元軍縮担当大使の堂之脇光朗が就任した。堂之脇の指導の下で、このグループは、アジア太平洋、ヨーロッパ、ラテン・アメリカの各地域に現地調査団を送り込み、東京、ワシントン、北京の各都市で国際シンポジウムを開くなどして、世界的水準の研究成果をあげた。このグループの最終報告書の結論が「日本人もまた世界を舞台とした予防外交活動の分野で積極的な役割を果すべきである」という提言であった。

(2) センター設立への胎動
 しかし、多くの提言がそうであるように、この提言もまた専門家や関係者の間でこそそれなりの反響を呼んだものの、だからといって誰かが「それでは」といって、実際の行動に出てくれるというものではなかった。伊藤は『日本予防外交センターのしおり』(2000年10月)の中で「あれは忘れもしない1999年2月18日のことでした。私は青山にある大学から代々木上原の自宅まで健康のため歩いて帰る気になって、代々木公園を歩いていたのです。そのとき天啓のような声が聞こえてきたのです。『だれもやらないのなら、お前がやったらどうなのだ』という声です。日本国際フォーラムは提言団体ですから、いろいろのことを提言してきました。提言の全部がだれかによって採用されるわけではありません。大部分は意見として発表されただけで、消えてゆきます。しかし、このときは思ったのです。この提言だけは、自分の投げたボールだけれども、だれも受け止めてくれないのなら、自分がボールの先に走っていって、キャッチャーになって受け止めるよりないのではないかと。家に帰った私は、直ちに筆をとり、ほとんど徹夜で『日本予防外交推進センター設立構想案』(このときは「推進」という言葉が入っていました)を一気に書き上げました」と、当時を回顧する一文を書いている。


 その後この構想を実現する上で陰に陽に大きな力となってくれたのは、実は当時の首相の故小渕恵三であった。小渕は日本国際フォーラムの熱心な理事の一人ではあったが、予防外交国際研究グループとは直接の関係はなかった。それだけに伊藤は「そもそも予防外交とは何か」というところから説明する必要があると思い込んで、総理官邸を訪ねたのであったが、この心配は杞憂であった。小渕は外相時代の国連演説で「予防外交の重要性」を世界に訴えており、話はツーカーであった。伊藤が「日本予防外交センターの設立準備には時間がかかりそうで、発足は多分明年度になると思う」というと、小渕は「予防外交は日本にとって極めて大切だ。応援するので明年度からなどといわず、今年度中にも早速活動を開始してほしい」と逆に伊藤に発破をかけた程であった。この日、3月30日に官邸を出た伊藤は、その足で外務政務次官(当時)の武見敬三を訪ねたが、武見と話し込んでいると、武見の携帯電話が鳴った。電話に出た武見の口からは「伊藤さんなら、今ここに来ておられます」とか「分かりました。官邸のご意向ということで」等という言葉が出る。伊藤の話を聞いた10分後に、小渕は外務省に直々の電話をかけてきたのであった。

(3) 設立発起人会の開催
 勿論、とはいっても日本予防外交センターは政府から独立した民間のNGOであり、その設立は助成をしてくれる助成団体、賛助会費を払ってくれる企業、会員となってくれる個人等、各界各方面の多数の方々の支援と参加がなければ、あり得ないものであった。笹川平和財団、立正佼成会一食平和基金、妙智会ありがとう基金が助成を約束してくれ、新日鉄、オムロンなど16の企業が賛助会員になってくれて初めて当センターの設立にゴーサインが出たのであった。かくて1999年7月19日、東京国際文化会館において日本予防外交センター設立発起人会(写真)が開催された。初代会長にはカンボジア、旧ユーゴスラビア等で活躍した元国連事務次長の明石康が、また初代運営委員長(現在の理事長)には伊藤憲一が選任された。採択されたセンター規約の第1条には「本団体は正式名称を財団法人日本国際フォーラム附属予防外交センターとするが、通称は日本予防外交センターとする」と規定されたが、同じ規約の第5条には「本センターは、実際的にはできるだけ自治及び自活の原則を尊重して運営される」との規定も挿入された。センターの内外における事業活動の規模が拡大する中、2000年2月の運営委員会は、元ベトナム大使の阿曽村邦昭を常勤の理事・所長として迎えた。センターはその後も飛躍的にその事業を発展させてきたが、そのような事業基盤の確立を背景として、センターは2002年2月28日、東京都より特定非営利活動法人日本紛争予防センターとしての法人格を付与された。センターは、同日以降日本国際フォーラムから独立し、かつ名称を新たにして、その前史、前々史から離陸した。センターは、その歴史において新しい発展の段階に入ったといえる。

 

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