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| | | | 2004年8月28日 『毎日新聞』 | 悲劇の風化・戦争って何?:/5止 スリランカで地雷除去… /播磨・姫路 | ◇スリランカで地雷除去活動の元自衛官 ◇自分の能力生かし貢献 ◆戦地の人々と、どれほどの違いがあるのか 「平和」な日本の外に目を向けると、70以上の国や地域に、約1億1000万個以上の地雷が敷設されたままなのを知っていますか--。対人地雷の危険で、自宅に戻れない避難民も依然、多い。犠牲になるのはいつも一般の民衆だ。 地雷原で除去作業を続けているのが元陸上自衛隊員の辰巳竜悟さん(40)=加古川市八幡町。辰巳さんは日本で初めて地雷除去の専門資格を取得した。なぜあえて、危険と向き合うのか。 ◆ ◆ ◆ 辰巳さんは自衛隊で訓練を続けるうち、「別な形で平和に貢献したい」と思うようになり退官。2000年から2年間、青年海外協力隊員としてモロッコに赴き、環境保全問題に取り組んだ。多くの障害に直面する中で、「日本では当たり前と思っていた平和な生活が、ここではそうではない」と強く感じた。 「戦地の人々と私に、どれほどの違いがあるのか」。自問する日々が続き、「平和」への思いは強くなるばかりだった。「自分の能力を生かし、自分のできることで平和に貢献したい」と人生の航路を定めた。 ◆ ◆ ◆ 19年間の内戦で、70万~200万個の地雷が敷設されたままのスリランカ。今、辰巳さんはNGO・日本紛争予防センター(JCCP)=東京都港区=の「対人地雷除去プロジェクト」の技術指導員としてスリランカにいる。地雷のために帰れない避難民は約39万人。「住民に平和な生活を取り戻してほしい」と、地雷原と向き合う。 北部の都市バブニヤ。午前5時50分、約50人のスリランカ人スタッフとともに地雷原に向かう。“死と背中合わせ”の一日の始まりだ。しゃく熱の太陽の下、午後1時10分まで淡々と除去作業を続ける。その後も軍や国連との調整に奔走し、気の休まる時はない。 地雷除去は、探知機などで地雷を探り当て、手で丁寧に掘り出し、爆破処理をする。地雷を探している間、別の地雷を踏んでしまうかもしれないという恐怖が常につきまとう。 最も神経をすり減らすのは、地雷原の区分けだ。地雷原に安全な地域はない。その中で、敷設されていない場所を見分けなければ、腰を下ろすことはおろか、歩くこともできない。「私を信じてついてきてくれるスタッフを危険にさらすわけにはいかない。『ここは本当に大丈夫なのか』といつも自分に問いかけています」と他人の命を預かる責任の重さを実感する。 ◆ ◆ ◆ 戦地で救援活動に取り組む人たちは、「自分のできることをしているだけ」と言う。「日本に住んでいる私たちは恵まれている」とも。私たちは、紛争が続く地域の人々や、戦争の悲劇を体験した祖父母らと自分を重ね合わせ、「平和」に思いをはせることができているだろうか。今、私たちに何ができるのか。答えは簡単に得られそうもないが、もう一度、真剣に考えてみたい。【林田七恵】(おわり) 2004年8月28日付『毎日新聞』より転載
| | | | 2004年6月15日 『毎日新聞』 | [平和立国の試練] 第5部「名誉ある地位」とは⑥ | ピースメーカーめざす/消去法でスリランカに | 5月4日、スリランカ北部のバブニア。雑草が伸びた農地に腰を下ろすと、周囲の森をサルが跳び回り、葉っぱが触れあう音が聞こえる。「ドン!」。地雷を爆破処理したごう音が空気と地面を震わせる。炎天下に防護服を着込んだ人々は、地表で注意深く探知機を動かして地雷を一つずつ処理していく。 終礼でNGO「日本紛争予防センター」の技術指導員、辰巳竜悟さん(39)が「地雷を見つけ、初めて処理した記念日だ」と訓示すると、現地採用の作業員約40人から拍手がわいた。政府軍と反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)は前線に計200万個もの地雷を敷設した。平和な生活を取り戻す地道な作業が続く。 同月12日、LTTEの本拠地キリノッチでは、日本の贈与(約7000万円)で再建された病院の開所式が行われた。約100人が列席した式の冒頭、LTTE側の“国歌”が流れ、“国旗”が揚がる。5分後、須田明夫大使ら日本側の代表や来賓が会場に姿を現した。LTTE側儀式への出席を避けるための「遅刻」だった。日本大使館関係者は「国を一つにしようとしているのに、分裂を認める行動は取れない」と打ち明ける。 ■ ■ ■ 官民による「オール日本」のスリランカ支援が続いている。北部に入った複数のNGOは、地雷処理のほか職業訓練や巡回医療などを始め、日本政府は施設整備などを重点的に実施。平和貢献としての「日本の今後の姿にしたい」(外務省)というモデルケースになっている。 スリランカを選んだのは「国の大きさがちょうどいい。大きすぎると他国が干渉する。小さすぎると関心を持たれない」(外務省幹部)ためで、アジア地域の紛争地を幅広く検討し、消去法で落ち着いた。日本は03年度までに総額8600億円の政府開発援助(ODA)をスリランカに供与、経済的にも関係が深い。 米国側の事情も働いていた。クリントン前政権下で「インド亜大陸の冷戦構造」を終わらせた米国は、カシミールをめぐるインドとパキスタンの紛争への直接介入を避け、インドの影響力が強いスリランカへの関与にも慎重だった。小泉純一郎首相が02年5月、「平和の定着」に協力する意向を表明すると、その3カ月後にアーミテージ米国務副長官がスリランカ和平に対する日本の関与を要請。同年10月には、スリランカ問題を担当する政府代表に明石康・元国連事務次長が任命され、日本は急速にスリランカへの関与を深めていった。 ■ ■ ■ 昨年6月、日本、米国、欧州連合(EU)、ノルウェーが共催したスリランカ復興をめぐる東京会議で、関係国は和平進展を条件に4年間で45億ドルの援助を約束した。10億ドルを担う日本は、民族・地域バランスに配慮した援助をめざしているが、LTTE政治顧問のバラシンハム氏は「北部に資金は入っていない」と言い放つ。停戦合意後に日本は国全体に総額805億円を投じたものの、北・東部ではうち49億円しか使われていない。外務省は「資金の受け入れ態勢が整っていないし、治安の状況から北・東部の大部分はまだ入れない」と説明する。 LTTE支配地域でも東部タミル人、南部シンハラ人貧困層、ムーア人に不公平感が生じているというから複雑だ。また、ジャフナ半島の政府軍基地は、主にタミル人約3万世帯の土地を奪ったままで、完全な和平実現にはほど遠い。 民間研究機関「政策選択センター」のサラワナムット所長は「日本は、政府とLTTEに人権と民主主義の尊重を求め、多種多様な人々の権利を保障するような援助をする責務がある」と注文する。日本政府のスリランカ選挙監視団に参加した足羽與志子・一橋大大学院教授は「(外務省は)すべてが縦割りで、しかも担当者が次々に代わる。継続性が維持できない」と問題点を指摘した。 湾岸戦争(91年)当時、人的貢献の不足を批判された日本は、スリランカ和平への取り組みを通じて、地域の「ピースメーカー」たらんとする意欲を見せている。しかし、和平実現への課題は多く、人権や民主主義をめぐる日本の理念も問われている。5分遅れの式典参加は、恐る恐る進み始めた日本の姿を象徴するようだ。 ……………………………………………………………………………………………………………………………… ◇スリランカ内戦 スリランカはシンハラ人(74%)、タミル人(18%)、ムーア人(8%)などの多民族国家で、48年の独立後は南部のシンハラ人優遇策が取られた。北・東部のタミル人が反発し、83年に内戦へ発展。02年2月、ノルウェーの仲介で停戦が成立するが、約6万5000人が命を落とし、約80万人の難民が発生。和平交渉は昨年3月、箱根で行われた後に中断。米政府から「テロ組織」とされるLTTEは同年4月のワシントン会議に招待されず、同6月の東京会議も欠席したが、交渉再開の意思は示している。 ……………………………………………………………………………………………………………………………… | われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(日本国憲法前文より) | 【「平和立国」取材班】毎日新聞社 2004年6月15日付け『毎日新聞』より転載 ▲地雷除去プロジェクトに戻る 更新日:2004/09/03 |▲日本紛争予防センター(JCCP)日本語トップへ||[email protected]| |