| 開催日時 | 2008年12月4日(木) |
| タイトル | タリバン勢力の復活(最近のアフガニスタン、パキスタン情勢) |
| 講師 | 進藤雄介氏 外務省 大臣官房考査・政策評価官、前国際情報官(安全保障、国際テロ等担当) |
| 参加者数 | 36名 |
(本発表は外務省の見解ではなく、あくまで進藤氏個人の見解を発表したものです。)
1999年から2002年までのドイツ在職中、アフガン戦争の和平合意会議であるボン会議に出席したほか、在ドイツのアフガン人の和平運動にかかわる機会があった。帰国後、外務省通常兵器室長となったが、当時の外務省は平和構築(小型武器、DDR)に力を入れており、そこで再びアフガニスタンと関わることになった。さらに前職に国際テロ・安全保障担当の国際情報官としてアフガニスタンとしてかかわり、本年10月に最近のアフガニスタン・パキスタン情勢をまとめた「タリバンの復活」という本を出版した。
初期タリバン
タリバンの活動は94年から、パキスタンのアフガニスタン国境付近のマドラサのアフガン人学生たちを中心に始まった。タリバンを考える際には、それが「パシュトゥン人」という「民族」の運動という側面があるということを認識することが重要である。タリバンの運動とは、パシュトゥン人による世直し運動であり、つまり内戦で荒廃した祖国を憂い、イスラムによって世を直そう、というものであった。イスラムを厳格に守るアフガニスタンでは、当時民衆は、タリバンに対して治安回復への期待、そしてパシュトゥン人支配の復活への期待を持っていた。
タリバンの盛衰
1996年、タリバンはカブールを制圧、98年にはマザリシャリフ制圧し、国土の大部分を支配した。タリバンによるアフガニスタン支配は、イスラム教による支配であり、特に女性に対する制限(服装、就労、教育における差別)は欧米から批判を受けたが、この習慣はパシュトゥン人の田舎では普通に見られるものである。つまり、タリバン運動とは、素朴な田舎の良い社会を実現しようとしたものともいえる。9.11後、2001年10月からの米軍等による軍事行動が始まったが、タリバンは壊滅したわけではなく、隣国のパキスタンに逃亡した。
アフガニスタン
●テロ事件の急増(2005年以降)、テロ発生の地理的拡大(パシュトゥン居住地区から他地域に拡大)
●自爆テロの発生(2002年までは自爆テロはゼロに近かったのが、2006年には急増)
●IED(簡易爆発装置)による攻撃の増加
●外国人誘拐の増加・・・外国人の誘拐を主たる戦略の一つとして使用。身代金の高額化。
パキスタン
●タリバナイゼーションの進行(ローカル・タリバンの出現)
→国境地域のパシュトゥン人が、タリバンの主義・主張に共鳴し、ローカル・タリバンを形成、タリバンに協力するようになる
●アフガニスタンへの越境攻撃の増加
→部族地域で休戦協定ができた後、アフガニスタンへの越境が増加した。自爆の8割以上はパキスタンからのものであるという国連の報告もある。
●ラール・マスジッド事件。
→神学生によるモスク立てこもり事件。首都イスラマバードにまでタリバン化が及んだ。
●パキスタン兵の死者数急増
→ラール・マスジッド事件とそれに伴う武力衝突後、武装勢力は本気でパキスタン軍を攻撃するようになった。
アルカイダとタリバンの関係
タリバンの復活にはアルカイダの復活が関係している。2007年、米情報機関関係者は、アルカイダの復活を公言した。そもそも、タリバンとアルカイダの関係については、ビンラディンがタリバンの庇護下に入る代わりに、資金面、軍事面(軍事戦略、軍事訓練含む)でタリバン支援するというものであった。1999年オマル氏暗殺未遂事件後、ビンラディンとオマルがさらに親密になったといわれる。アルカイダの影響を受け、タリバンは自爆テロやIED攻撃などの新たな戦術手法や思想的傾向を見せている。
また、アフガン以外に関心が無かったタリバンが、外部(パレスチナ、イラク、カシミール)に目を向けるようになった(=グローバル・ジハード)のもアルカイダの影響である。グローバル・ジハードへの傾倒によって、外国人戦闘員も増加したとされる。
ボン合意後の経過
アフガン戦争後の和平合意であるボン合意は、タリバンを含めずに行われ、これが結果としてパシュトゥン人に疎外感を与えた。国連等は、パシュトゥン人のカルザイを大統領にしたが、南部のパシュトゥン人は自分達の代表と感じられず、また政府の要職は、少数のタジク人が握っていた。これによる、パシュトゥン人の不満が、タリバン支持へとつながっていったという側面がある。また、アフガニスタンの統治システムの欠如も、民衆のタリバン支持の一因である。イラクと違い、アフガニスタンは長年にわたる内戦で統治機構がほとんど存在せず、また、もともと部族社会の伝統が根強かったため、なかなかカルザイ新政権が統治の体制を整備することは容易ではない。そのこともあり、現在カルザイ政権下では、治安の悪化、経済停滞、政府機関の汚職腐敗が起こっている。また、アフガニスタンに駐留する連合軍への批判も、タリバン支持につながっている。連合軍による軽率な振る舞い(地元の伝統や文化の軽視、住民の殺傷等)、更にはタリバンによるプロパガンダが、アフガニスタン人の反連合軍意識を強めている。
来年のアフガニスタン大統領選挙
現カルザイ大統領は最近選挙を意識し、国民の共感を呼ぶべく連合軍批判を行っている。アフガニスタンの民族構成から考えると、新大統領がパシュトゥン人から選ばれるであろうということは確実であろうが、パシュトゥン人の候補が一人に絞られるのかどうか、カルザイ現大統領が再選するのかは現時点では分からない。野党的立場をとる国民戦線(旧北部同盟関係者主体)は、現時点では、比較的おとなしくしており、様子を見ているような印象をうける。
パキスタンの対応
タリバンへの対応に関しては、文民政府、軍、情報機関(タリバンを支持しているといわれる)がいかに連携するのかが今後の課題である。パキスタンの国民は、米軍による越境攻撃に関しては批判的な感情を持っている。
米国・オバマ氏の対応
アフガニスタンへの増派の意向は表明しているが、アフガン政策変更の可能性については今の時点でははっきりとはわからない。一方、イラクの経験はおそらく参考にならないと思われる。アフガンの軍事的制圧は可能かどうか、また米から日本を含めた同盟国への圧力が増加するのかどうか、今後の動向に注目である。
タリバンとの対話の可能性については、対話に向けた動きがサウジアラビアの仲介で行われたりしたが、タリバンは自分たちが勝者であると確信しているため、対話に関心を示していない。ただ、タリバンも一枚岩ではないので、対話に関して柔軟な姿勢をもつパシュトゥン人を取り込めるかどうかが今後の鍵となるであろう。
Q1. イスラム過激派にこれからどのように対応していくべきか。
A1.そもそもタリバンをテロリストとして扱ったのが問題を複雑にしている。9.11後の米軍による軍事行動は致し方ないとしても、タリバンをテロリストとして扱ったことによって、タリバンへの対応が「殺すか捕まえるか」になってしまった。タリバンは、いわばパシュトゥン人の民族主義の運動であるともいえるが、パシュトゥン人という民族を一掃するということができない以上、彼らをテロリストとして扱い、話し合いの余地を持たなかったことが解決を難しくしているという面がある。
「テロとの闘い」というスローガンの下、多くの人がタリバンをテロリストだとみなしているが、たとえタリバンがアフガニスタンで政権をとったとしても、彼らはアメリカの本土攻撃は考えたりする勢力ではない。イスラム圏の国には、イランのように、宗教指導者が国の最高指導者になっている国もある。タリバンが、国の政治にかかわることはやり方によっては考えられうる。
Q2. 上記の質問に関連して、現状ではタリバンとアルカイダの関係はどうなっているのか?タリバンがテロリストでないとすれば、アルカイダは?
A2.タリバンの運動はいわば土着のもので、アフガンだけが関心事項である。アルカイダは、アラブ人中心の活動で、アフガニスタンに限らず、どこからでも、米国への攻撃を目指すだろう。現時点では米国をアフガニスタンから追い出すことで両者の目的が一致しているが、それ以降のことについては路線の違いがあらわれるのではないだろうか。
Q3. カルザイ大統領や米軍の働きかけによるタリバンとの対話は有効か?
A3.難しいのではないか。タリバンの幹部たちに対話する意思は無い。タリバンは自分たちが勝っていると思っている。一般的に言って、不利な側、負けそうな側から対話を切り出してもうまくいかない。ただ、タリバンは一枚板ではないから、それらの者たちを取り込める要素はあるだろう。
※議事録の完全版につきましては、会員の方のみに配布しております。
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